【本稿は2007-07-09記】
先週、久しぶりに訪れた東京駅のエキナカの本屋さんで、「NHKスペシャル グーグル革命の衝撃」という本を購入しました。
例によって、グーグルに関する様々な事柄が、「検索」がもたらすもの、天才集団の牙城、広告革命、既存のメディアを揺さぶるグーグル、誰が検索順位を決めるのか、グーグルにすべてを委ねるのか、膨張する巨大IT企業の行方、人類のライフスタイルとグーグル、「退化」する私たちの未来、などの言葉でお話がされていました。
ほとんどの内容は、皆さんがすでにご存知の内容でした。
でも28ページの1行に私の目は釘付けになりました。
ご存知のように、Gooogleは、1998年に、スタンフォード大学の二人の学生、サーゲイ・ブリンとラリー・ページによって誕生しました。
二人は1995年に最初に出会ったとのことですが、28ページには、「二人の足跡や考えの一端を知りたいと、グーグル発足当時、ラリー・ページの指導教官だったテリー・ウィノグラード教授を訪ねることにした。」とありました。
1989年に、私たち(当時、ヒューマンインタフェースのR&D活動を進めていた複数の企業の仲間たち)は、スタンドフォード大学に、ウィノグラードさんを訪ね、わくわくするような議論をして頂いたことが、走馬灯のように想いだされてきました。
当時、ウィノグラードさんは、「Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design」という著書で、私たちにわくわくするような衝撃を与えて頂いていました。
その序文には、
「どんな技術でも、人間の本質や活動についての暗黙の理解という「背景」から生まれてくる。
一方、技術を使うことによって、我々の行動、ひいては存在そのものに根本的な変革がもたらされる。
道具(ツール)をデザインするとは、自分の存在のあり方をデザインすることだ、という点に思い至ると、デザインについての根源的な問いに出会うことになる。
これを真正面から受け止めて初めて、我々はコンピュータ技術を理解する新しい背景を築くことができる。
この背景こそが、コンピュータ・システムの設計と利用に重要な進歩をもたらしてくれる。」とあります。
お逢いしたときの議論では、当時の技術動向の議論や、この本の哲学的背景についての先生の「思い」について、再確認させて頂いたりしました。
終わり際に、私は、ウィノグラードさんに、もう一度、先生の「思い」について、お聞きしました。
そこで、「これからは、従来の図書館のように情報を集め、利用する形態が大きく変わってくることが予想されるが、今の図書館でもそうであるが、情報の仲立ち・案内をする人の役割が、とても重要になってくる。それは、・・・・・・・」と、静かに、深く諭すように話して頂いた。
そのときにも、オリジンにふれたふるえを感じたのを、憶えていますが、このたび、改めて、そのオリジンを再確認することができ、本を読みながら、うれしさがこみ上げてきました。
ところで、よーく想いだして、「表層の皮」から深層を流れるオリジンをみつめてみると、今のGoogleは、上記のオリジンの「・・・・・・・」の中のひとつの「・」に焦点をあてているに過ぎないような気がしてきました。
小さな気づきかもしれませんが。
もう一度、これまでの「オリジンにふれる体験流」を、再構築してみたいと思います。
2008年11月6日木曜日
菊、初めての体験、芽を摘む、体験流

以前に、近所の菊農家の方から、菊の苗を頂きました。
教えられ、見よう見まねで植えた菊が、庭の畑に見事に育ってきました。
初めての体験(Experience)なので、とてもわくわくします。
菊は、年中需要がありますが、特に7月の新盆と、8月の旧盆には多くの需要が見込まれます。
そのために、それらの需要に合わせて、苗がうえられています。
畑を見回してみますと、一列ごとに菊の背の高さが違っています。
この景色の底流には、このようなマーケット動向が埋め込まれているのですね。
育ってくると、いくつかの花の芽がでてきます。
みんな、そのままにしておきたいのですが、花を大きくするために、小さな花の芽は摘み取ります。
茎の下の方の葉も摘み取ります。
これらのことも、みんな、菊農家の方の体験流から、教えて頂きました。
私を、それを再体験し、また小さな気づきに、出逢っています。
このあたりは、花のさくまち、と言われるように、いろんなきれいな花の栽培が盛んです。
日々の生活の中で、遺伝子の話までなさっている農家の方々の体験流は、情報の世界のものにとっても、いつも考えさせられるオリジンになっています。
ネギ、草取りと土寄せ、体験流

1月遅れで植えたネギが、少しづつ大きくなってきました。
病院祭で100円で買った、ほんとに細かったネギの苗。
畑に畝をつくり、その谷間に少し斜めになるように1本1本静かに立てかけ、毛細のような根の部分のところに、手でちょっとだけ土を振りかけておいていたものです。
しばらくたってから、周りの草を抜きながら、ちょっとづつ土寄せをしてきました。今では、畝の谷間と山の部分が逆転し、ネギを立てかけておいた谷間の部分の方が盛り上がってきました。
このやり方は、みんな近所の農家の方々から教えて頂いたものです。
最初は日の当たらない谷間の部分のオリジンから、周りの環境の草取りをしながら、少しづつ土寄せをしていく。
長い間の、周りの方々の体験流の知恵を、再体験しています。
ジャガイモ、表層の皮、体験流
クリンソウ、言葉とイメージと分類、体験流

クリンソウが静かに咲いていました。
調べてみると、サクラソウ科で、山地の湿地に生えている。名は花が多くの段に輪生するので九輪草、とありました。
カタカナでみると、クリーン(clean)な感じからきているのかなという気もしましたが、漢字でみると、形からみるとそうだったんだー、ということに気がつきました。
情報や概念にかかわる用語にも、カタカナ、漢字、それに英語やラテン語など、いろいろありますが、翻訳されたとたんにオリジンの意味は失われて、違ったものになっているような気がすることが、しばしばあります。
言葉とイメージと分類(どうやってカテゴライズするか、どのようなインデックスをつけるか)、見ることによる体験流、いろいろと感じさせてくれます。
動機、目的論的構図、経験構造
【本稿は2007-07-04記】
「体験流」に関連すると思われる、いくつかの参考フレーズを、新幹線の中からモブログします;
動機づけとは、「偶然的事実を必然性に転化する構造」だそうです。
一般に、因果論が、現在の秩序・状態・構造などを、過去の秩序・状態・構造などによって説明するのに対して、目的論は、未来によって現在を説明する。
目的論的構図においては、現在は将来に依存し、部分は全体に依存する。
目的論的構造は、相互主観性において支配的であるばかりではなく、単独の自我の活動も目的論的構造によって支配されている。
現象学的経験構造は、内部に自己保存機構をもつ自己調整システムである。
「体験流」に関連すると思われる、いくつかの参考フレーズを、新幹線の中からモブログします;
動機づけとは、「偶然的事実を必然性に転化する構造」だそうです。
一般に、因果論が、現在の秩序・状態・構造などを、過去の秩序・状態・構造などによって説明するのに対して、目的論は、未来によって現在を説明する。
目的論的構図においては、現在は将来に依存し、部分は全体に依存する。
目的論的構造は、相互主観性において支配的であるばかりではなく、単独の自我の活動も目的論的構造によって支配されている。
現象学的経験構造は、内部に自己保存機構をもつ自己調整システムである。
三分一湧水、体験流

前の写真の湧き水のところから流れ出した水の流れを、みんなで公平に分かちあうために、考え出された叡智が「三分一」の工夫です。
左の写真は、この仕組みを流れの上流から写したものです。
四角い池のようなところの手前に、逆三角形の小さな石が置かれています。まさに、これがこの工夫の「コア技術」、「キーストーン」のようです。
下方の、三つの流れにうまく分かち合えるようになっています。
情報通信技術のあり方やそれの利活用法なども想起させてくれます。
また、これらの水の流れは、わたしには、何だか様々な「体験流」のありようのようにも思えてきました。しかも、「未来から過去への流れ」のような気もしてきました。
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